白薔薇の逢瀬〜Meeting you, in the holy night (with a white rose)1
 

「そこにいるのは―――」
 訪れた深夜の教会で、望美の耳に響いた声。
「まさか―――銀なの?」
 振り向いた彼女の目に映ったのは、彼女がとてもよく知っていた青年の姿だった。銀糸の髪、アメジストを思わせる色合いの瞳。品のある容貌と均整の取れた長身。
 けれども装いはかつてと大きく違う。郎党の装束でもなく、直衣姿でもなく。
 クリスマスイブのパーティ帰りとしか思えないタキシード、そして光の加減で鈍い銀色にも見えるロングコート。襟元には白い薔薇。望美の目からも一目で上質のものとわかるそれらは、彼にとてもよく似合っていた。
 だが、思いもかけなかった邂逅に驚きの声を上げた望美に、どうしてそれほどに驚かれているのでしょうと青年は不思議そうな視線を向けた。
「あなたは天よりの御使いではないのでしょうか―――?」
 聖夜、教会に現れた彼女が天の御使いではないかと問う声はどうも本気のようで、望美は当惑せずにはいられない。
 青年の姿かたちは銀そのもの。けれど銀と言い切るにはどうしても違和感がぬぐえないし、彼女をほとんど知らないかのような言葉も紡ぐ。銀なの?と問うても確たる答は返ってこない……。しかしそれでも、青年の声はせつせつとした真情にあふれていた。
「私はあなたにお逢いしたかった。その願いのままにここにまいったのです。
 あなたは―――?」
 聞かれて望美は言葉に詰まった。
 大切な仲間たちとの自宅でのクリスマスパーティー。心から楽しかった。だが何か物足りない気持ちのまま、行ってみようとふと思いたった教会。決めた時にはっきりした目的意識があったわけではない。
 でも―――ここで何かが起こるのではないかと、漠然とした予感を自分は抱いてはいなかったか。聖夜ならば、どんな奇跡でもありえるのではないかと。
 それがたとえ夢に等しい望み、遙かな時空で想いを寄せた人にもう一度会いたいという希望だったとしても……。せつない願いはそのまま唇からほろりとこぼれ落ちる。
「あなたに会いたかったからかもしれない―――」
 青年は息を呑み、瞳を伏せて何事か敬虔につぶやいた。ふたたび彼女に向き直った彼の顔には、大きな喜びが躍っていた。
「私もです、愛しい方。私はあなたにお逢いしたかった……」
 欲深いのはわかっておりますがと謙虚に付け加えながらも、今ひとたび口にしてほしいと青年は確かな言葉を望む。求められるまま『あなたに会いに来た』と繰り返しながら、望美自身もそれが自分でも気づかなかった心の真実なのだとかみしめていた。
 会いたかった、あなたに……。
「銀……」
 呼ばれて青年は涼やかな目元を微笑ませた。
「あなたにとって私は『銀』なのですね。そう呼ぶことを望まれるのでしたら、ええ、あなたのよろしいように……。以前にも私をそうお呼びになったことがありましたね? 短い逢瀬ではありましたが、あれ以来私はあなたを忘れることができなかった。ようやくお目にかかることがかないました。私の……十六夜の君」
「あ……」
 彼は重衡だ。銀となる前の。
 疑問がみるみる氷解していく。
 花朧の月の下、ほんの短時間ではあったが望美は昔の六波羅で重衡と言葉を交わしている。初めて会った時は、御簾越しに平家の滅びを語る青年を知盛かと思ったのだった。
 その後、彼女は頼朝に追われる逃避行の中で銀と出会い、平泉で悲痛な別れを経験した。望美への悲しいほどの愛を抱いて心を閉ざした銀を救うためには、彼が誰かを知らなければならないと望美は時空を跳躍し、再度六波羅を訪れた。月の光の下にあらわになった重衡の面を見て、望美は彼が『銀』であることを確かめたのだ。
 だがそのあと、望美は平泉へ戻る選択をしなかった。
 なぜなら平泉で銀の深い罪の意識と苦悩を知った望美は、重衡が生田で源氏に捕らわれ銀となる運命を阻止する願いもこめて、源氏と平氏の和議を望んだからだ。だからあの時空で銀と望美が結ばれることはなかった……。
 和議直前の京のどこかに重衡はいたはずだ。望美と御簾越しに会った記憶を持った重衡が。清盛の子であり平家の主たる将である重衡は、和議その場にさえいたのかもしれない。しかし戦さのざわめき冷めやらぬ京、そして一触即発の危機をはらんだ和議の場で、望美が彼と直接言葉を交わす機会は得られなかった。
 ふいに望美はかすかな焦燥を感じた。記憶はどこか欠落しているような気がする。銀との大切な思い出はもっとたくさんあったのではないかと心のどこかがささやいている……。それでもこうして思い出す部分だけでも、銀との月日は望美にとってかけがえのない重みを持っていることは間違いない。
 そして彼女が悲しい運命から救った青年は今―――彼女の目の前にいる。
 平泉で行動を共にし、望美と心を重ねた銀ではないかもしれないが、ここにいるのは確かに……。
 重衡は信じられないようにつぶやいた。
「こんなふうにあなたとお逢いできるとは。本当に私は夢を見ているのか――。
 不思議な力に導かれて、何もかもが異なるこの世界にやってきたのは少し前のことです。多くのことにとまどい、悩みもいたしましたが、振り返ればすべてはこの時のためにあったのだと思える―――」
 銀はひとすくい望美の髪を手に取り、そっと唇に当てた。
「こうして触れるお髪の艶やかさも、かぐわしさも……ああ、幻ではない。
 さあ、お手を取らせてください。そしてあなたのぬくもりを私に感じさせてください、天より舞い降りた愛しい方―――」
 触れる指から伝わってる、生きている人間のあたたかさ。言葉にできない感情が胸を突き上げ、こみあげる想いに泣き出したいような気持ちになる。
 だがそれを青年は悲しみと勘違いしたようだった。手を離し、心からの詫びの意を表す。
「……っ、お許しください。喜びのあまり、失礼なふるまいをしてしまいました。それとも私の申し上げた言葉の何かが、あなたのやさしいお心を傷つけてしまったのでしょうか?」
「違う、違うよ、そうじゃないよ……」
 望美は夢中で否定した。
「ならばその涙は何のため、誰のためにこぼす涙なのでしょう? 私は問わずにはいられない、あなたの瞳に満ちる朝露のしずくのわけを……」
 そう言いながらも彼は望美の返事を待たず、首を小さく横に振った。
「いいえ、答などなくてもいい。ただ私にその涙をぬぐうことをお許しいただけるのであれば……」


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